仙台高等裁判所 昭和24年(ラ)16号 決定 1951年4月27日
抗告人 岡トメ
右代理人弁護士 田原進
相手方 岡ミヨ
右代理人弁護士 上水四郎
主文
本件抗告は昭和二十六年一月四日抗告取下により終了した。
理由
抗告人は相手方の申立により、盛岡家庭裁判所一関支部昭和二十四年(家)第三七一号事件において昭和二十四年五月六日同裁判所より「本件本人未成年者岡美子に対する親権の喪失を宣告する。」との審判を受け適法な抗告申立をしたところ、昭和二十六年一月四日当裁判所に抗告人名義を以て右抗告を取下げる旨の「抗告申立取下願」と題する当裁判所宛の書面(昭和二十五年十二月二十八日附)が提出された。
右に対し抗告人より右取下は無効であると主張し、その理由の要旨は
抗告人は右のような取下書を提出した事実はない。ただし次のような事実はあつた。即ち昭和二十五年十二月二十日頃抗告人方に岡勇二が来て相手方(申立人)と仲良く暮すようにとて、その示談の条件も示され、抗告人はこれを承諾した。次で同月二十六日岡勇二が再度来て抗告人に対し「右のことを相手方や兄弟親類に伝えたところ皆大変喜ばれた」と申され、そこへ増田正明も来合せて、同人から「これから兄弟仲良くしてくれ、おれの家にも来てくれ」等と云われ、その時岡勇二はポケツトから書いたものを出して、「これに署名押印してくれ」と云うから、抗告人は岡勇二を信用し、親権喪失はしないし、家のことは一切抗告人に任せる為の書付かと思い右書類に署名押印してやつた。只それだけであつて、勿論右書類を入れる封筒を書いたことや右書類を郵送したこともなく、又これ等のことを他人に頼んだこともないのであるから、当庁に提出されている前示抗告取下書は抗告人の関知しない無効のものである。
と云うにある。
当裁判所は右取下の効力に関し証人岡勇二、増田正明を訊問し且抗告人本人を審訊した。
右取下の効力に関する当裁判所の判断は次のとおりである。
昭和二十五年十二月二十八日附「抗告申立取下願」と題する押印ある抗告人作成名義の「抗告人と相手方間の盛岡家庭裁判所一関支部昭和二十四年(家)第三七一号親権喪失宣告申立事件につき親権喪失の宣告があつたのに対し、抗告を申立てたところ、今般自己反省の上抗告申立を取下する」旨の書面が昭和二十六年一月四日当裁判所に提出されたことは記録上明かである。しかして証人岡勇二、増田正明の証言竝に抗告人本人の供述(一部)を綜合すると、抗告人は昭和二十五年十一月末頃親戚縁故に当る増田正明、佐々太郎等より抗告人と伊東甚作との従来の不倫関係を絶ち更生の途をとるべきことを諭された結果、過去を改め伊東甚作との関係を絶つことを誓い、且つ本件抗告を取下げることを申立で、右席に招かれた岡勇二に対しても右を伝えて列席の右同人等に対し自己の更生の方途を一任することになつたことその数日後岡勇二より右抗告取下の意思に変更あるかどうかをただされたのに対し抗告人は取下の意思に変りはない旨答え、且つ翌日に至り抗告人は岡勇二に対し本件抗告の取下手続一切を依頼し、同人は右に基きこれを増子正昭に依頼した結果同人が代書人をして前示「抗告申立願」と題する書面を作成させ、これを同年十二月二十七日頃抗告人に示したところ、抗告人は右の内容を閲覧の上署名押印して岡勇二に交付したので同人は改めて増田正明に右取下書の郵送を依頼し同人は右取下書の完全を期する為右代書人及び原審裁判所等に照会して事件番号竝に抗告人の住所を搜入した上当裁判所宛郵送したものであること、抗告人が右取下書に署名当時本件抗告を取下げれば抗告人に対する原審の審判が確定し抗告人は親権を喪失するものであることを理解していたこと、竝に右取下書の署名後閲覧を要求した伊東甚作に対し、抗告人は右書面の所在を殊更に祕していたこと、以上の事実が認められる。右に反する抗告人本人の供述部分は当裁判所措信しない。以上の事実によれば抗告人は右取下書の内容及びその効果を熟知して署名押印しこれを前認定の如く岡勇二に託し、同人は更に増田正明に託しこれを当裁判所に郵送したものであることを認め得るから本件抗告は右取下書により適法に取下げられ終了したものと云わなければならない。
よつて主文のとおり決定する。